コンマリメソッドが教えてくれた人生のときめき方。

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イチローなんて目じゃないくらい有名になってるよ。」

そう教えてくれたのは最近渡米した姉だった。

 

“Spark Joy”と言えば今やアメリカの流行語大賞間違いなしのトレンドワードとなっている。もしアメリカ人と会話するきっかけがあれば話題に出すと間違いなくウケるのでオススメトピックだ。

 

その”Spark Joy”の生みの親、近藤麻理恵こと、コンマリさんは現在Netflixでの番組をきっかけに大ブレイク。

彼女は片付けコンサルタントとして、家中が片付かずに困っているクライアントに

「片付けの極意」を伝授して、家だけでなく、その人の精神面の問題までも整えてしまう。

メソッドを実践したクライアントは「人生で大事な物がわかった」と、自身の”Spark Joy”を見つけ、幸せになっていくのが見ていて気持ちがいい。

 

実はかくいう私もコンマリメソッドを実践した一人だ。

アメリカでは「コンマリする」と動詞になっているそうなので、

今風に言うと「コンマリった!」といったところだ。

 

私がコンマリったのはもう数年前にもさかのぼる。

当時の私は仕事に追われている、という言い訳を盾に、

洗濯物も食器も放置、色んな物に溢れていて、

1週間もたてばまたゴチャゴチャと散らかった部屋にリバウンドしてしまっていた。

 

「帰ってきて嬉しくなる家にしたい」

そう思って掃除に励もうと、話題のコンマリメソッドを本屋で立ち読みしてみたものの、

「どうせ掃除好きの「好きだから苦なくできる」っていうハードルのたっかいハウツー本なんじゃないの」と思っていた。

ところが、光り輝く1行が目に飛び込んできた。

 

「コンマリメソッドはリバウンドしません」

 

なんと!!!

リバウンドしない!?

これがダイエットなら誇大広告だ。

どんな有名なダイエットの広告だって「リバウンドしない」なんて謳っていない。

それなのにはっきり、くっきり「リバウンドしない」と書いてある。

「これは試す価値があるのかも」

物は試しとやってみることにした。

 

コンマリメソッドとはガーデニングのようなものだなと思った。

いざ庭を作ろうとしてただただ土をさわっても、

せいぜい左にあった土が右に移っただけになるだろう。

大事なのは「どんな庭にするか」を考えることだ。

 

何故庭をつくるのか、土を耕して何がしたいのか、何を植えてどんな庭にしたいのか。

そして、たくさんの花を植えて花畑にしてもいいし、何も植えずに枯山水にしてもいい。

大事なのは「自身の感性」で、誰に強制されるものではないということだ。

 

それは「どんな人生にしたいのか」と同じだ。

どんなものに囲まれて生活がしたいのか、

何に囲まれていれば「幸せだ」と感じることができるのか。

それを知っていくことがコンマリメソッドの目的だ。

 

そう考えると、私はいかに不要なものと暮らしていたかがわかる。

「また着るかもしれない」と年に1回着るかどうかもわからない洋服や、

読みかけたまま長年読み返せていない本、

もらったもののあまり好みではなかったお茶、など、

「使うかもしれない」「絶対いるわけじゃないけど」「なんとなく」と実に曖昧な気持ちになる物のオンパレードだった。

庭だと雑草をさして「いつか、きっと、抜く」とボーボーにのばしているのと同じである。

 

そして庭造りに肥料が必要なように、片付けの肥料は、

「キュン♡とくるかどうか」

コンマリさん独自の表現なのだが、

「嬉しい♡」や「大事♡」というような、高揚する気持ちが持てるかを

物に触れることで一つ一つ感じることでわかるという。

 

私は自分の手でひとつひとつ土を触り、花を植え、不要な草を除くように、

ひとつひとつ自分のものを手にとって、いるいらないを心の声にしたがった。

半日以上かけ、終わった頃は夜中の3時でゴミ袋も5袋以上あった。

 

それでもコンマリった私の心はSpark Joyに溢れていた。

「好き」がわかれば「どんな庭にしたいのか」も創造していける。

好きな庭が洋風の庭だったら松の木や大きな岩を置かないように、

好きなものに気づくと、「キュン」とこないものは身近に置きたくなくなってしまう。

 

コンマリメソッドは庭でいうと、

「いかに庭を美しくみせるか」というテクニックを教えているものだと思っていた。

しかし、実際は「自分が嬉しくなる庭を作る方法」を教えてくれていたのだ。

だから、私は好きでない仕事をやめ、今では当時趣味でおわっていた写真の撮影や、

英語の翻訳など、好きなことで仕事ができるようになった。

最初は部屋を片付けるつもりが、人生の考え方まで整えてしまったようだ。

 

そして数年たった今、これだけは認めないといけないなと思う。

それは、「コンマリメソッドはリバウンドしない」は本当だったということを。

 

 

インスタ映える抹茶ラテを食べてきた。

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ROCCA&FRIENDSに行ってきた。

最近Instagramや旅行雑誌に必ずピックアップされている。

 

むっちゃ寒い2月でも屋外にあるというのにお客さんは続々とやってきて、

私もその列の一人になった。

 

清水寺周辺は数年ぶりに行ったけれど、

 

「あれ?ここ日本?」

 

というくらい日本語が聞こえてこない。

聞こえてきても

「おい、礒野〜」

みたいな修学旅行生の声くらいだ。

 

良い悪いではなく、京都はインターナショナルな雰囲気に溢れていて面白い。

 

さて、今回はフォトスポットの宝庫、

二寧坂と産寧坂を散策。

 

元々古いアパートがあったらしいその敷地には

可愛らしいトラックが一台。

 

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抹茶ラテ以外もほうじ茶やトッピング無しの普通のお茶も盛りだくさん!

あれこれ悩んで結局トッピング付きの抹茶ラテを注文♪

 

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美術館のチケットみたいな紙を渡されて待つこと数分。

 

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きた〜〜〜〜〜〜〜☆☆☆

 

映え!!!

 

めっちゃ映え!!!

 

すごいね〜〜〜〜

 

たっっっぷりの生クリームに、

生チョコ2つ、

抹茶のチョコに

八ツ橋クッキー2つ!

 

中は濃厚なお抹茶で、ケーキと抹茶を同時に飲んでいるような感じ......

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分厚すぎる生クリーム......

 

おいしい。

めっちゃ美味しい。

どれも本気のスイーツで贅沢な逸品!

 

でも......一人で食べる(飲む?)には厳しく、

飲み干した後は1週間ほど甘い物はもう良いかな.....

って感じになりました。。。

 

 

ROOCA&FRIENDS TRUCK

 住所:京都府京都市東山区八坂上町370

営業時間:9:00~18:00

*テイクアウトがメインのお店なので屋外です〜

「料理」が面倒な私にとって〇〇は救いの手だった話

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控え目に言って、料理って面倒だ。

献立を考え、必要な材料を確認し、スーパーへ買い出しに行き、下ごしらえ、調理をして、盛り付け、食器等を洗って拭いて片付けるまで、

「料理」に含まれるイベントの多さは多忙な営業マンのようだ。

こんな労力の挙げ句に「美味しくない」など言われた日には、

相手にちょっと地獄の三丁目まで行ってもらうか、私がすすんで天国に行くより他ない。

 

そんな私もパートナーを得て、めでたく料理担当となった。

夫のためとはいえ、朝や昼は玄米一膳で食事を済ませるような私にとって

朝、昼、晩と三食きっちり食べる夫の食事メニューを考えるのは、

ものごっつ(ものすごくとても)面倒臭い。

もちろん今どき風の理解ある夫は

「別に三食とも手作りでなくともコンビニ等のご飯で適当に済ますよ〜」

っといった感じで、料理を作ることに強制力はないのだが、

負の遺産であるポヨンと出たお腹を見せられると

「できる限りコンビニ飯を食わすまい」と思ってしまう。

とはいえ、一番近いスーパーまで歩いて10分かかる。

自由に使える車もないし、週に何度もスーパーに行くのは時間の無駄。

 

「あ、ネットスーパーがえぇやん」

料理にかかる手間を少しでも減らしたい私が思いついたのは

以前にも使ったことがあるオンラインのスーパーだ。

ネットスーパーは地域によって使えるサービスが変わったり、配送方法が違うので正直「微妙かなぁ。」と思ったけれど全く問題はなかった。

 

何件か試した結果、Oisixが私のライフスタイルには合っていた。

なぜなら、献立を考えなくて良いのだ。

料理を担当している人(料理好きを除く)は、

献立を考えるのが一番面倒!だと思う。

調理自体は慣れればそんなに面倒でもないし、

おいしくできれば嬉しいのでそんなにストレスなくできるけれど、

そもそも「何食べようかな」って話。

それをOisixは解決してくれるのだ。

 

「メインと副菜が20分で作れるセット」

恐らく、共働きで忙しい夫婦やまだ子供が小さい夫婦を想定しているのだと思うけど、仕事から帰ってきて20分でできてしまうのでめっちゃ楽ちん。

巷では「つくりおき」も人気だが、解凍した時の味が苦手なのと、そもそも休日こそ料理を休みたいのに作り置きでいつもより時間を割くのは嫌なのだ。

食材も2人前の分量しか入っていないので無駄がなく、

「パエリア作るのにパ セリを買ったけど半分余っちゃった。」

といったことが無いのでストレスフリーで気分が良い。

数あるキットから選べば良く、和洋中のバリエーションもしっかりあって定期的にメニューの入れ替えがあるので飽きがこない。

 

「作ってもらえることが何よりもの贅沢」

 

料理を担当する人はそういう思いを抱えていると思う。

母も姉も私も、誰かが誰かのために作ってくれた、

例え冷奴のような「料理?」みたいなものでも、

作ってもらえることが嬉しいのである。

1つはその労力を知っている、というのもある。

もう1つは、「自分の味付けに飽きる」からである。

キットの食事の味はレシピの分量通りの調味料が用意されているので、

多少好みの味に変えられるとしても「外食のような」味だ。

それが新鮮で気に入っている。

 

そして、キットのすごさはここでは止まらない。

 

夕食だけでなく、なんと、お弁当用のキットもあるのだ。

お弁当なんて夕食よりやる気が出な……あ、いや、タフな作業だ。

冷凍食品が普及したといっても、美味しいものは限られていて、

1週も回せばだいたい同じような内容に偏ってくる。

とはいえ料理研究家のK原さんのように朝から唐揚げなんて揚げられない。

もっと言うと7時前には出勤してしまうので卵焼きすら焼きたくない。

そんな私に寄り添ってくれるのはOisixしかないのかもしれない。

唐揚げはもちろん、一口とんかつにコロッケ、ハンバーグといった人気メインおかずから、ひじき、切り干し大根などの健康系副菜も一汁三菜よろしくきっちり揃っている。

「お弁当に入ってた魚、ウマくてびっくりした!」

お弁当箱に入るサイズに切り分けられた小さなサケやサバも、入れると毎回「おいしい」と言って報告してくれる。

肝心の用意する時間も15分以内で済むところも気に入っている。

家事は時短ができるならそれに越したことはない。

冒頭でも言ったとおり、料理は調理だけが料理ではないのだ。

献立を「何にしよっかな〜」と考え、お皿を片付けるまでが

家庭での「料理」だと思う。

一つ一つの作業には大した時間も労力もいらないかもしれないが、

まとめてみると結構な手間と時間だ。

そのちょっとずつ積み重なった労力を取り除くことで、

私は良好な夫婦関係と自分の勉強時間を確保できている。

Oisixにして良かったなと心から思う。

 

「しまった!牛乳2本も頼んじゃった!」

……注文ミスもご愛嬌だ。

TOEIC800点突破はハワイ旅行に行くようなもの

 

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「目標を叶えることってハワイ旅行に行くのと一緒なんだよ〜」

そんな風に教わった時には「そんな簡単なわけないやん」と

ちょっとイラっとした。

でも、よくよく考えたら「そうかもしれない」と思えたから不思議だ。

 

どういうことかというと、

ハワイには計画を立てたときから行けると信じているから

「ハワイ旅行は簡単に行ける」と思っている。

でも、夢や目標は「叶わないかも」「失敗するかも」と

そもそも疑ってかかっているから叶えられない、ということだった。

 

「ハワイが無くならない限りハワイ旅行には行けないわけじゃない」

 

ということは

 

「目標も諦めない限り達成できないわけじゃない」

 

だんだんと脳内で変換が起き出した。

 

「あれ、ということはTOEICで800点突破するのもハワイ旅行だな」

とさえ思えてきた。

 

私は元々英語の勉強が好きだったけれど身につかず、

長年やってるわりに思ったように英語が使えない自分に嫌気がさしていた。

するとどんどん自信がなくなってきて、

とうとう「私、英語なんてできない」なんて口走っていた。

 

それでも10年以上勉強してきて思うように使えないなんて

ダサすぎる! かっこ悪い! このままでは終われない!

そんな気持ちがフツフツと湧きおこり、

 

「TOEIC800点を取って、英語を使って好きな仕事をするぞ」

そう心に決めた。

 

旅行で大事なのは「いつ行くか」ということだけれど、

さて、私はいつ英語ができるようになれば良いかなと考えた。

英語の勉強に本腰を入れた当初は模試といえどもTOEIC470点と、

平均を大きく下回るスコアだったのを覚えている。

ショックで軽く3日は寝込んだけれど、

「ダセぇなぁ」と耳元でささやく自分の本音に負けたくなかった。

 

「ただ単にスコアを取るんじゃなくて、実力もつけながら突破する」

そう決めて階段を一段一段のぼるようにステップアップしていくことにした。

そうすると半年で600点突破、1年で700点突破、もう1年かけて800点を突破、となり、2年半後が私の目標期限となった。

 

旅行前にハワイのショッピングモールで買い物をして、Egg Thingsでパンケーキを食べて、ワイキキビーチで泳ぐんだ、なんて想像するように、

勉強前にイメトレもした。

すでに800点を突破して、英語を使いこなしてバリバリ仕事をしている想像。

外国人の同僚と冗談を交わしながらも真剣に打ち合わせをしたり、

英語の資料に目を通して有益な意見をバシッと言える。

やや実像とは離れていても、「そのためになら頑張れる」と

脳内にリアルに再生できるイメージを勉強のたびに思い浮かべた。

実際このイメージングをしていたから、英語の勉強が嫌になるような時でも

結局はそのイメージに一歩でも近づきたい、もっと言うと、

イメージした自分から離れていくのが怖い、という恐怖心から

途中で挫折をせずに勉強をし続けられたんだなと思う。

 

突然だが、私はものすごくサボりたがりな性格だ。

厄介なのは、普段は何でも大抵マジメに取り組むのに

ある瞬間に面倒になって「もういいや」となってしまう。

特に自分だけがやりたい事をやるような場合は危険で、

取り組む範囲や何をすべきかということが

ある程度決まっていないと、

だんだん物事が続かなくなってくるのだ。

旅行に行くまでにパスポートやスーツケースを揃えるのと同じで、

私の目標に必要なのは課題を出してくれる「先生」だった。

 

インターネットで「TOEIC 塾」とかで調べて、

最初は大手の短期集中型コースを申し込もうとしたけれど、

どれも条件に合わず、色々探しているうちに1つ良い塾があった。

個人でされていて、月謝制だからいつ退会しても良く、

何より「コツとしてTOEICの点数を取るのではなく、英語力を上げた結果点数が上がることを目指す」という指針がガッツリ自分の目的と合致したのでそこに通うことにした。

その塾で目標に必要なのは、単語力、文法力、文章の読解力だと言われた。

いわゆるこれがTOEICのパスポートでスーツケースなんだなと理解した私は

毎日寝る1時間前に文法や文章読解の勉強をしてスキマ時間はひたすら単語学習に時間を割いた。

パスポートはお金を払って必要書類を揃えれば手に入るけれど、

能力はそうもいかないので、自分で自分を作っているような感覚だった。

それが、なんだか楽しかった。

 

そんな日々が過ぎ、最初の半年には600点を超え、

1年を過ぎた頃には700点を超えられるようになっていた。

700点を超えた時に転職活動をしたら、何の資格もなかった頃と比べて

面接の通過率や採用担当者の対応がグッと変わったのを実感した。

「あ、本当に英語って武器になるんだな」と思えた瞬間だった。

 

さて最後に、旅行でいうと空港に到着してハワイに向かって飛び立ち、

ハワイに無事到着、という部分だが、私は無事に到着することができた。

それも予定通りの2年半で。

700点から800点突破にかけて勉強していた頃は転職も成功し、

まさに最初にイメージしていた働き方ができるようになっていた。

 

夢を疑ってかかったり、目標が叶わないなんて不安に思うことがあれば、

「旅行に行くと考えたら何ができる?」

そう自分に質問をして、目の前のできることから取り組んでいる。

 

 

レイトショーならぬレイトミュージアム

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「世紀末ウィーンのグラフィックデザイン、そして生活の刷新にむけて」

京都国立近代美術館で行われている絵画展だ。

 

「仕事終わりに行きたいんだけど」

前情報も何もなかったけれど、

「仕事終わりに夜の美術鑑賞」

シャレた響きに惹かれて行ってみることにした。

 

元々美術館へ行くのは好きだった。

美術館は私にとって宇宙にいるかのようだからだ。

アートの一点一点を眺めることははまるで天体観測のようだと思う。

 

古ければ古いほど、

アートが生み出された時代と、

それを鑑賞している現代の私と、

またその2つの時代の間に生きた人々がいるという

当たり前のような奇跡に胸が震えてしまう。

それは今日光る星が何百光年昔に発されたものだと知ったときの

心躍った子供時代を思い出させてくれる。

 

どうも美術館は2015年に360点のウィーンのグラフィック作品群を収蔵したようで、

それらが1897年から第一次大戦までに生み出されたものらしい。

ウィーンの画家と言えば......誰だっけ?

お粗末な知識でのこのこやってきたので丹念に説明文を読む。

見たことがある絵......

あ、クリムトだ!

 

そう、グスタフ・クリムトを会長として設立されたウィーン分離派

今までの芸術のあり方に疑問を持ち、古典と現代の融合を試みたとあった。

今で言うインフルエンサーやパワークリエイターといったところだろう。

どんな時代も人々の価値観を引っくり返すというのは生半可なことではなかったが、

成功させたからこそ100年以上たった今でもその名が残るのだろうなと思った。

 

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日本がの影響があるなと見ていると、
16世紀にアルブレヒト・デューラーを頂点に衰退していった木版画も、19世紀後半に日本の多色木版画(浮世絵)の影響を受けてブームが再熱。1900年に日本美術工芸特集を機に日本から学ぶ人が出たそうだった。

最初は技法をそのまま取り入ることから始まったが、後にリトグラフなどの技法と掛け合わせたり、額に入れて飾るなど、当時の日本とは違う発展をしていったことに注目したい作品群だった。

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このあたりはそんな感じ。

ひとつのアイディアや技法だけでなく、それぞれをを掛け合わせることが大事。

そうすることで、ただの模倣ではなく、まったく別のアートが生み出されるのだ。

まるでビジネスだ。

個人が多様な生き方の選択ができるようになった現代では、

そのように自分のスキルの精査と活かし方をより良く見つけた人が生きやすい時代になった。

 

「あ、いいな」

そう思ったものを素直に受け入れ、取り組んでみて、

自分のカラーにしてしまう。

また、新しい楽しみ方も型にはまらずに考えてみる。

100年以上も前の人たちの生きる姿勢に、今日の自分を照らし合わせてみる。

 

私は今挑戦しているだろうか。

心から汗がでるような熱い想いを持てているだろうか。

 

仕事終わりの静かな美術館で熱い思考は続いていった。